えぬぴぃOh!vol.82(2022年冬号)_web版

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「草の家」の紹介

【寄稿】平和資料館・草の家 副館長 出原ではら 恵三けいぞう

 平和シリーズⅡは、平和資料館・草の家 副館長の出原さんと「高知空襲の跡めぐり」を企画された橋田さんに寄稿していただきました。

設立の経緯

 平和資料館・草の家は高知市升形にあります。高知空襲や戦争体験の風化を防ぐために1979年「高知空襲と戦災を記録する会」が結成され、「空襲展」や「平和七夕」、「平和美術展」、「反核平和コンサート」など平和関連の行事を毎年夏に実施してきました。取り組みを重ねる中で「戦争や平和について学ぶ常設の資料館が必要だ」との声が高まってきました。行政にも働きかけましたが実現しそうにはありませんでした。

 それなら、「市民の手で建てよう!」と当時土佐高校の教員であった西森茂夫氏(初代館長)が中心となって「平和資料館・草の家をつくる会」を結成し「平和の種まき」運動と称して建設を広く呼びかけたのです。そして自宅の半分近くを提供して鉄筋コンクリート4階建ての資料館を建設し1989年11月11日に民立・民営の施設としてオープンしました。

 名称を「平和資料館・草の家」としたのは、「資料」という具体的な事実を大切にしたいということ、「草の家」の「草」には、民衆の意味を含ませて大地にしっかりと根をはらすという意味が込められています。

平和資料館・草の家 1階ホールの資料展示

「草の家」の活動の4つの柱=加害・被害・抵抗・創造

 近代日本は日清戦争を皮切りにアジア太平洋戦争敗戦まで50年余りの間、戦争を繰り返してきましたが、その中で日本が戦場となったのは最後の1年だけです。それまでは朝鮮半島や中国など東アジアが戦場となった侵略戦争でした。この〝加害〟の事実と向き合うために「中国平和の旅」や「韓国平和の旅」を行い、かつての戦場や植民地支配の跡を訪れています。

〝被害〟では高知空襲での犠牲者名簿の作成と「平和祈念の碑」の建立を高知市に働きかけ実現しました。

〝抵抗〟は、日本が戦争に突き進もうとする1930年代、高知には反戦革命詩人槇村まきむらこうなど「誤った戦争をしてはいけない」と戦争に反対して弾圧され葬られた青年たちがいました。彼らの足跡を発掘し顕彰することにも取り組んでいます。

槇村浩碑前祭(2022年6月1日)
第44回戦争と平和を考える資料展(2022年6月30日~7月7日)

〝創造〟は戦争遺跡の保存、学校での平和学習などを通して戦争の悲惨さ、愚かさを次世代に伝え、どんな未来社会を選択すべきか、東アジアの人々と共有できる歴史像の構築に努めています。この他、草の家では教育や環境問題を考える団体などの事務局も置かれており、平和と民主主義を守り発展させるセンター的な役割も果たしています。

高知空襲の跡めぐり

【寄稿】橋田早苗(平和資料館・草の家)

 「草の家」の岡村正弘館長は今から77年前、小学校2年生の時、1945年7月4日の高知大空襲でお母さんと妹さんを亡くされました。戦後は長い間、レントゲン技師として市民病院に勤務されていました。退職後、毎年7月4日が近づくと「戦争の恐ろしさ、平和の大切さ」を伝える平和学習の「語り部」として市内の学校を訪問しています。私も3・4年前から岡村館長が行けない時などは「語り部」を務めています。館長の体験を紙芝居や「草の家」の資料を使って話をすると子どもたちはとても熱心に聞いてくれます。

 学校を訪問するだけでなく、市内に残っている空襲の跡を子どもたちに実際に見てもらいたい!体感する機会を作りたい!!と思い立ち、「高知空襲の跡めぐり」を企画して2022年7月30日に開催しました。 

 コロナ下ですが、10名が「草の家」に集まってくれました。最初に岡村館長から高知空襲の話を聞いた後に出発、案内は「草の家」研究員の馴田なれた正満まさみつさんにお願いしました。まず升形にある浅井病院の塀に残っている焼夷弾しょういだんの焼け跡を見学し、病院の南側の道路が空襲の被害の分かれ目でそこから北側は全て焼きつくされたとの説明にみんなおどろいていました。その後、電車通りを渡って周囲で唯一焼け残った織田歯科医院の建物を見ました。ここの塀にも焼夷弾が当たった傷跡が残っています。

織田歯科医院の見学

 ここから電車に乗って高知市文化プラザ「かるぽーと」隣の堀川堤防遊歩道に移動し、爆弾が当たった鉄橋の欄干を見ました。厚さ1㎝の鉄板の一部がもぎ取られ、60㎝ぐらいねじ曲がっています。衝撃の強さを知ることができ戦争の恐怖を今日に伝えています。この橋は菜園場橋と呼ばれ、もともと堀川と新堀川が合流したところの東側にかかっていたもので、「かるぽーと」の建設に際して撤去されることになっていましたが、「戦争の証人」として残してほしいという声が多く寄せられたことから、被災した部分を切り取って川岸に置かれました。

菜園場橋に残る爆弾あとの説明

「今まで知らずに通っていました。反対側に、まんが甲子園の歴代最優秀作品の複製と説明があるのに、ここには何もないのが不思議で、残念です。説明板を設置してほしいですね」と参加者が話していました。

第40回平和七夕で平和への想いを新たに

 最後に京町で行われている平和七夕を見学しました。平和七夕を初めてみたという人もいて「ずっと続けていったらいいですね」と話していました。

 今回は初めての取り組みで参加者も少なかったですが来年からも続けていきたいと思っています。

問い合わせ先

平和資料館・草の家
高知市升形9-11 TEL:088-875-1275
【開館時間】13:00~17:00
【休館日】水曜日・日曜日・祝日

みんなぁでつくろう!幸せいっぱいの高知 ~こうち未来基金設立シンポジウム~

 NPOは、既に現代の日本社会において不可欠なものになっているが、その実大半は経済的に脆弱で、資金確保が慢性的な課題となっており、行政からの委託や目的に応じた助成金に頼りながら運営を継続している。

 (特非)NPO高知市民会議(以下「市民会議」)は、これまで高知市まちづくりファンドの運営や民間財団との連携等に携わり、基金活用のノウハウを習得し、自らも寄付制度を創設するなど積極的に市民活動を支え続けてきた。

 この経験と実績を活かしながら、新たに個人や団体から寄付を募って地域社会の課題解決を目指す市民活動を支えようと、市民会議は今年8月に「こうち未来基金」(以下「未来基金」)を設立。9月4日(日)、より多くの人々に未来基金の趣旨を知ってもらうため高知市朝倉の県立ふくし交流プラザで「こうち未来基金設立シンポジウム」を開催した。

【第一部】基調講演~コミュニティファンドが創り出す未来~

全国コミュニティ財団協会 会長(公益財団法人佐賀未来創造基金 理事長)山田 健一郎 氏

 全国コミュニティ財団協会は2014年に設立。現在、全国6ブロック30カ所ほどに広がる。民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律に基づく資金分配団体にも採択され、コミュニティファンド(以下「財団」)を作る助成プログラムを実施している。

民間公益活動を促進するための休眠預金等に係る資金の活用に関する法律:この法律は、休眠預金を活用した民間公益活動促進により、国民生活の安定向上及び社会福祉の増進に資することを目的として平成30年に施行された。

 地域住民の寄付による基金は、助成先にも審査する側にもなり得る「地域による地域の財団」。地域の課題解決を市民目線で一緒になって考えることで市民活動が変わり地域が変わる。

佐賀未来創造基金ホームページ

 行政を介さない財団は、地域に近く、早くて柔軟。地域でお金が循環することで、お金の地産地消を生む。支援には、特定の分野も地域を横断しているものもある。種類は、事業指定型やテーマ型、スポンサー型、出資型など様々で、参加の機会拡大や社会課題の可視化により応援者を増やしていくことが重要。

 一方、助成されるNPOにとっては、審査され価値を認められることで成長の機会でもある。

 また、財団では遺贈寄付推進や休眠預金等活用事業、非資金的支援として伴走支援や組織の基盤強化、支援先の活動検証分析・調査なども行っている。寄付の方法や財団運営方法も地域により多種多様で、佐賀のふるさと納税の活用や岡山の災害対応など課題に即し様々。未来基金も地域に合ったプログラムにするため皆さんにも参加してもらいたい。

特別講演1「こうち未来基金に期待するもの」

さんすい防災研究所 山﨑 水紀夫みきお

 東日本大震災ほか22の災害に関わってきた。元県庁職員で市民会議理事の経験から、災害支援と中間支援の活動視点で話す。

 NPOは利益が発生すれば本来事業に再投資をするが、「非営利」という言葉から、ボランティア=無償が社会全般のイメージで、NPOで働く者にとってはスキルに応じた収入につながらない現状がある。災害救援の二大助成財団でも基本的に人件費は対象外。

 また、災害支援では、複数から助成を貰う場合もあり、その分透明性が大変重要で、一旦不正があれば信用を失い、その組織だけでなく、NPO全体への不信や悪影響も生じる。

 未来基金に期待することは①活動実態やニーズに合わせた期間や金額などの多様な支援や変化への柔軟な対応、②災害支援はスピードが大事でタイミングを逃さない迅速な交付決定、③中核スタッフへの能力に応じた人件費の対応、④高知ならではの他の助成金との差別化。

特別講演2「こうち未来基金」

こうち未来基金代表 川竹 大輔 氏

 高知は災害や人口減等の課題先進県で、これらの解決を目指す未来基金は、「県民による県民のための基金」として民間の公的支援の輪と共感を広げることができる。対象は高知県。ビジョンは「市民の支え合いや繋がりを通じて、関わるすべての人の豊かさのモノサシを育み、一人ひとりの可能性と幸せがあふれる高知にする」。繋ぐ・育む・広げる・支えるそれぞれの土壌を耕し、行政でもない企業でもないNPOが新しい公共を担っていく。先駆的な基金を参考にしながら、お金以外の支援もできればと考えており、これまでの寄付文化を生かし新しい寄付メニューを作っていく。スピード感をもって動ける団体でありたい。

【第二部】パネルディスカッション ~市民が支える市民社会の実現~

パネルディスカッションの様子

 コーディネーターに、高知大学次世代地域創造センター地域コーディネーターの梶英樹氏、パネリストに、前出の山田氏、山﨑氏の二人に加えて、ネッツトヨタ南国㈱取締役相談役の横田英毅ひでき氏、(特非)地域サポートの会 さわやか高知 会長の三谷英子えいこ氏、高知大学4年生で「だがしやふぃーか」代表の森野純夏すみか氏を迎え、自身の資金を循環して持続可能な地域をつくる重要性や、市民活動を身近に知ってもらう必要性、未来基金への期待などについての意見交換がなされた。

《横田氏》 企業の社会的責任は、お客様や社員を大切にすることだが、社員が幸せでないと業績が上がらないどころか継続すら危うい。幸せと満足は分ける必要がある。満足は物質的(地位やお金など)に嬉しい状態だが、幸せとは精神的に嬉しい状態。幸福度が高い北欧では、ボランティアや寄付の割合が高い。しかし、我々企業人はこのような活動の情報が少ない。活動の可視化と上手な告知が重要。そして、活動の後継者が増える仕組みを築くことを期待する。

《三谷氏》 本会は会員制の有償ボランティア団体だが、相互扶助で成り立つ。会費のほかに負担金でサービス提供しているが、これだけでは回せないため、加工食品の製造やイベントで収入を得ている。介護保険制度はできたが、隙間の溢れた人をどう救うかが課題。
 活動維持のため、人は財産。未来基金には人を増やす仕組みと運営への支援、更にこの情報がいきわたることを期待する。

《山﨑氏》 どの団体も運営が厳しく様々な資金調達を行っているが、ぎりぎりで回している。自己犠牲では、豊かな社会はこない。まず自分が幸せになり幸せのお裾分けが必要。高知人は瞬発力があるが継続的なボランティアは苦手。計画的な支援が課題。また、なんでもリスクマネジメントが求められる社会でも、大らかであることも必要。挑戦やリスクを負うものにも支援を。チャレンジできる仕組みを望む。

《森野氏》 大学近くに、「子どもたちと地域、学生たちが緩く繋がれる場所にしていきたい」と学校や家庭以外で大人と触れ合え、子どもの〝しんどい〟を置き去りにしない憩いの場「だがしやふぃーか」をオープンした。初動の資金調達は高知市まちづくりファンド。運営は日常の中で出会う周囲の方々と信頼を培い協力を得ながら、小遣いなどで回している。「貢献したい」と集まってくる学生も求めるものは個々に違い、グラデーションがある。未来基金には、何かしたい時に相談にのってもらえる期待感を持てる役割を持ってほしい。

《山田氏》 幸せの連鎖、共感の広がりが重要。寄付集めは手段。社会との繋がりにより応援しあえる助け合いの仕組みを広げたい。地域が豊かなら担い手は出てくる。地方から発信し日本を変えてほしい。人口減でも、帰って来られる、地域に関われる。人は人しか救えない。持続可能なものにしてもらいたい。

《梶氏》 助成金が一つ増えるのではなく、寄付者と現場を繋ぐ役割としての基金。資金は手段であり、多くの人が知らない課題を把握して、どのように支援につなげるかが大切。また、事業のプロセスへの寄り添い方も重要。
 キーワードは、幸福・共有・継続・若者・後継者。高知は、昭和初期の坂本龍馬像建立のように寄付文化の先例が沢山ある。テーマにより集まりやすい・集まりにくいはあるが、若者の参加の仕方をどう引き出すか。共感を得るため、一緒に伴走しながら、どう見せられるかが課題。未来基金を一緒に育ててほしい。

 最後に参加者でワークショップが行われ未来基金に寄せる思いを語り合った。

(森岡)

※こうち未来基金の詳細はWebサイトをご覧ください。

坂本龍馬の精神「自忘他利(じぼうたり)」を継承 ~設立20周年を迎えた一般社団法人全国龍馬社中~

 坂本龍馬を慕い、師と仰ぎみる。日本のみならず世界各地で活動している龍馬会及び龍馬にかかわる団体等により結成された全国ネットワーク組織「一般社団法人全国龍馬社中」の代表を務める橋本邦健くにたけ会長にお話しを伺った。

坂本龍馬との出会い

 18歳の時に、「龍馬のすべて」を買って読んだ。子供の頃から桂浜の銅像は知っていたが、大きな銅像だから偉い人ぐらいにしか思っていなかった。本を読んで同一人物と知り、凄い人だと思った。1968年、NHKで「竜馬がゆく」が放送され、龍馬の知名度があがると、たくさんの本が書店に並ぶようになった。僕は片っ端から読んだ。たちまち龍馬ファンになった。

龍馬は高知の宝

 大学卒業後、東京で就職していたが、1971年6月に高知に戻り、幼少時代から可愛がってくれた22歳年の離れた兄の会社に入社。兄があちこち連れて行っては僕を紹介してくれた。

 高知が良くなるかと思ったら良くならない。なんとかせないかんと思った。

 そこで、龍馬の生き方を子ども達や青年に教えるため龍馬記念館を造ろうと考えた。高知に作らなければ東京や他の県が作ってしまうと高知県庁に話をしに行くと、龍馬の価値を知らず、高知を捨てて出て行った人と言われ取り合ってはくれなかった。

苦難の連続だった募金活動

 1984年に、龍馬生誕150周年を記念して、桂浜に「高知県立坂本龍馬記念館」を造って県に寄贈しようと、高知商工会議所青年部が主体となり県下12の青年団体(約1300名)が10億円を目標に募金活動を始めた。構想から約8年かけて全国を駆け回った。途中くじけそうになったこともあったが諦めなかった。みんなが支えてくれたからできた。嬉しかった。

世界に広がる龍馬会

 1991年11月15日念願の坂本龍馬記念館がオープン。これを機に県から「龍馬」を民間で支える団体を創ってくれないかと打診があった。全国を飛び回り協力や寄付をお願いしてきた多くの仲間がいた。各地で龍馬会ができ始め、国内外にある高知県人会に声をかけて龍馬会を増やした。人に寄っていかなければ人はついてこない。僕はそれを大事にしたいし常にハートで付き合ってきた。

 2002年、ファンの集いから社会に貢献する龍馬会に育てたいと全国龍馬社中を設立。現在、国内142(高知県内26)、海外17の龍馬会が所属している。2021年4月に組織変更を行い、任意団体から一般社団法人全国龍馬社中へと法人化した。

<年表>
1984年 ●龍馬生誕150年記念事業実行委員会発足(翌年1月募金活動開始)
1989年 ●第1回龍馬まつりを桂浜にて開催 全国各地より龍馬ファンが集う
1991年 ●坂本龍馬記念館オープン 「坂本龍馬記念館友の会」を作る
1991年 ●第3回龍馬まつりに「龍馬ファンの集い」とサブタイトルが付けられる
1992年 ●第4回長崎大会にて「全国龍馬ファンの集い」に改称する
1996年 ●「坂本龍馬記念館友の会」改め「坂本龍馬倶楽部」として正式に発足
2002年 ●全国龍馬ファンとの集い鹿児島大会にて「全国龍馬社中」が正式に発足
2019年 ●「全国龍馬ファンの集い」を「龍馬World」に改称
2021年 ●一般社団法人全国龍馬社中として法人化する

自忘他利の精神

 龍馬の精神をひと言で表わすならば、「自忘他利」。彼は自分を忘れて、他人に利益をもたらすために、常に前を向いて歩いて行った。だからこそ、時を超えてこんなに愛されているのだと思う。今のような混沌とした世の中にこそ必要な龍馬の精神を共有し、「龍馬に追い付き追い越せ!世のため人のため地域のために貢献する」そんな龍馬会を増やしていきたい。

京都・霊山護国神社にて全国龍馬社中の総会後、坂本龍馬のお墓を参拝(2022.3.12)
第34回「龍馬World in 旭川」にて挨拶をする橋本会長(2022.9.18)

感想

 橋本会長の武勇伝はまだまだ沢山ありますが、「自分を忘れて人のために動いたら人は寄ってくる」、「挑戦が人間の最大の魅力」という言葉が印象に残りました。

(うらい)

全国龍馬社中のホームページにて全国の加盟龍馬会、活動内容などご覧いただけます。
http://zenkoku-ryoma-shachu.com/

サポートセンターのスキルアップ講座について ~ファシリテーション研修 つぶやきの育て方~

 高知市市民活動サポートセンターでは、NPOの活動に役立つスキルを学ぶ「スキルアップ講座」を開講しています。

「スキルアップ講座」について

 毎回、どのような内容にするかは、その時々の時代のニーズに合わせて企画しています。令和4年度のカリキュラムは、新型コロナウイルス感染症による社会活動の停滞から、少しずつ社会が動き出す機運が出て来ていることを受けて、「今後それぞれの団体が以前のようなイベントを企画する際に役立つスキルを」ということで、会議やワークショップ運営のスキル(ファシリテーションの技法)を身につける講座にしました。

研修内容について

 今回は、内容をしっかりと受講者に届けたいと、3回連続の講座としました。講師を務めていただいた、畠中智子さん(㈱わらびの 代表取締役)は、高知におけるファシリテーション研修の第一人者で、高知にとどまらず、全国で活躍されている方です。

 第一回目「場づくりを学ぶ」は、コミュニケーションをとりやすい机といすの配置、参加者が打ち解けるワークショップなどを学び、第二回目「見える化を学ぶ」は、模造紙、ペン、色、文字、矢印、吹き出しやアイコンの使い方を、実際に書いて学び、第三回目「ファシリテーションに挑戦」では、模擬会議を記録する実践ワークショップを受講者全員が体験することで明日から使えるスキルを身につけることを目標にした、内容の濃い講座となりました。

受講者の感想

  • 当初、ハードルが高いように思いましたが、これぐらいじっくり時間を掛けて学ぶ方が、終わってみると良かったと思います。
  • 学びが深まるし、回を重ねる毎に参加者と繋がりが持て、発言しやすくなりとても良かった。
  • 今回のような会議の回し方研修にはぜひ参加したい。第2弾に期待しています。
  • 研修内容からも学ぶことは多かったですが、講師や受講生の言葉から気づくことも多かったです。
模擬会議のレコーディング①
模擬会議のレコーディング②
グループワークの発表
模造紙、ペン、色、文字、矢印、吹き出しやアイコンの使い方
ハタ上げアンケートの様子
グループワークの様子

 次年度以降も、その時々でNPOや非営利活動をされている方々にプラスになる講座を開講していきたいと思います。楽しみにしていてください。

(北川)

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